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Pedacito de Cielo〜Junkoの禅問答〜Vol.02

ブエノス・アイレスって街

台風の接近を心配しつつ、お家でのまったり時間を過ごしながらブエノス・アイレスでの暮らしを思い出していました。

 

初の渡亜は2014年でした。見知らぬ国へ(リゾートなら別w)行くのはあまり好きじゃない私。俊介も一緒ではありましたが、日本から30時間以上も飛行機に乗って、日本語も通じない英語も通じない(英語喋れないけど...)国など自ら行こうとは思いません。

 

しかしその頃、アルゼンチンタンゴというダンスを学び始めて数年、自分が表現しているものが果たして本当のタンゴなのか?確信が持てず、師匠からは言葉にはしてくれないけど「まだまだだ」ということが伝わってくる😔まだまだなのは当たり前だけど方向性は合っているのか、不安でした。

それからアルゼンチンに行ったほうがいいと言われることが多くなっていきました。

 

俊介は仕事があるし(この頃はまだ会社員)1人で行くのは恐い...。

行ったことある人にブエノスってどんなところ?って聞くと治安悪いし、街は汚いし、冬はめっちゃ寒いし、夏は大雨降るとすぐ浸水するし、停電するし、ものはすぐ壊れるし...とマイナスな事ばかり。こんなところに誰が行きたいの?って思いません?

 

まずはスペイン語でも習ってみるかとスペイン語学校へ行ってみたのですが、あまりの覚えられなさに凹みまくり、やる気がどんどん降下。その上、アルゼンチンのスペイン語はスペイン語学校で習ってるスペイン語と結構違うのよって....んんん...どうしたらいいんだ...。

ブエノス行かなくてもタンゴは踊れるし!もう行かなくてもいいんじゃない😃と自分に言い聞かせてみたりもしました。

 

が、俊介が会社を辞めてしまったのです。3ヶ月アルゼンチンに行きたいので会社休んでもいいですか?って聞いたそうです。

 

 

良いわけないだろー!

 

てことで一緒にアルゼンチンに行くことになりました😃

 

 

前置きが長くなりましたが、初めて行ったブエノス・アイレス、覚悟はしていたけど聞いていた通りの街でして...到着して数日間自覚していませんでしたが相当ショック受けていたみたいです。俊介にはバレていたようで、「あの時顔ヤバかったよね」って今でも言われますw。

(そのせいかその後麻疹に罹ってしまうのですが)

 

麻疹で死にそうになって1ヶ月くらい部屋に缶詰めだったのですが回復して部屋から出られるようになり、リハビリも兼ねて街中をよく歩くようになりました。ブエノスの街は碁盤の目のようになっていて、道1つ1つに名前がついています。道には犬の落とし物があっちこっちにあり、割れたタイルが舗装されてない歩道は当たり前、下を注意していないとすぐ捻挫しそうですw。夜は明るい道などありません。

 

しかし、街をゆったりと余裕を持って見渡してみると、街並みが本当に素敵なんです。カフェやお菓子屋さん、小さなスーパー、お肉屋さん、エンパナーダ 屋さん、洗濯屋さん、教会、学校、公園、壁の大きな絵などなど、特別なものはないけどなんだか落ち着く街。

 

滞在中、時間があればひたすら街を歩きました。レッスンを受けたあと、疲れた脚で凸凹の道を歩いているとわかるんです。こんな道を歩きまくってる人たちが踊ってる踊りなんだなと。体幹や脚の強さが違うやって。それに加えて、街の人と接すると沢山のマイナス面がある街でなんとかして生きてる人たちのメンタルの強さが見えてきます。目力もすごいです。そんな性質の人たちが踊る踊りだってことにも気付きます。

 

なるほど、ここに来なきゃ実感が湧かないタンゴという踊りの原点や底力。怖かったけど、ここへ来て良い面も悪い面も肌でブエノス・アイレスを感じることが出来て良かったと思いました。

 

その後、2018年にもう一度アルゼンチンへ行くことになるのですが、それはまたの機会に🤗

 

ブエノス・アイレスという街、タンゴを学ぶことがなかったらきっと来ることもなかっただろう街。必死に生きてるブエノスの人々が夜な夜なミロンガに集まって仲間たちとアブラッソする。長い時間をかけて作られてきたタンゴのコミュニティにそう簡単には馴染むことは出来なかったけど、彼らの生きる街のカケラは見ることが出来たのかな。

(注:ブエノス・アイレスの人々みんながタンゴを踊っているわけじゃありませんw)

今は道やトイレも結構綺麗になってるというウワサです。興味のある方は一度ブエノス・アイレス行ってみてくださいね。



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